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昨日は北伊豆地震の震災遺構の丹那断層公園と火雷神社の記事を書いてみました。
実はもう一か所、北伊豆地震の遺構がありますのでご紹介します。

伊豆の国市の江間公園にある「地震動の擦痕」です。「擦痕」とは傷のことで「さっこん」と読むそうです。
実物はこんな感じです。

地震動の擦痕

円筒形の赤茶けた金属ですが、これ旧海軍の魚雷だそうです。
何故魚雷がこんなところに?と疑問が浮かびますが、
現地の説明文では1930年(昭和5年)3月、江間尋常小学校の校庭に忠魂碑を建てる際に海軍省から魚雷が譲渡され、
忠魂碑の横に展示されたとか。

小学校の校庭に魚雷?と何だか不思議な感じですがそういう時代だったんでしょうね。
この魚雷が展示されて8か月後、11月26日に北伊豆地震が発生します。

その際に地震の揺れで魚雷が動き、台座とこすれた傷が地震計のような波長を記録したことから、
これは珍しいものだという話になり、1934年(昭和9年)に特別天然記念物に指定されたそうです。

最初の微動でタテの傷が、その後の本震でヨコの傷がついたとか。

地震動の擦痕 魚雷

地震動の擦痕説明

第二次大戦後、当時のGHQにより「これは兵器だ」との事で撤去命令が出たそうですが、
江間小学校の校長や地元の人たちが陳情活動を繰り返し、保存されることになったとのこと。

人工物の天然記念物はこの「地震動の擦痕」が日本唯一のものだったそうですが、
2013年茅ケ崎市の旧相模川橋脚が天然記念物に指定されたことから「日本唯一」ではなくなりました。

時代の流れで江間小学校も廃校になり、現在は伊豆の国市の江間公園として整備されています。

伊豆の国市の江間公園

かつてここには昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公北条義時の館があったそうです。

伊豆の国市北条義時屋敷跡

時代は変わり周囲の環境が変化しても山の形は鎌倉時代と変わらないと思うと不思議な感じもしますね。
今日は伊豆の国市の江間公園にある「地震動の擦痕」をご紹介させていただきました。
今週も読んでいただきありがとうございました。

地震動の擦痕
https://izugeopark.org/geosites/minamiema/

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