大平宿は異世界の入口のよう by電柱広告の旭広告社
2023年9月15日
毎日同じような事を書いていますが、暑い日が続きますね。
今日は東京で大雨が降ったとか。
来週後半からは気温が下がるようですが、実際どうでしょうか。
早く秋らしい涼しさになって欲しいものです。
それはさておき、
昨日は大月市の猿橋の記事を書いてみましたが、
今日は夏休み中に行ってきたもう一か所のスポット「大平宿」について書いてみたいと思います。
皆様、長野県飯田市の大平宿(おおだいらじゅく)ってご存知でしょうか。
私はつい最近まで全く知りませんでした。
飯田市の山中にある廃村です。
筆者の長男がネットで知ったらしく、「連れていけ」と何度も言うので長野へ行ってきました。
朝6時に沼津を出発。
家を出るときには快晴でしたが、山梨へ入ると急に雨になったりと天気が不安定になってきました。
それでも中央道の諏訪湖サービスエリアではまだ晴れ間が見えており、諏訪湖がきれいに見えました。
更に中央道を進み、飯田市へ着いた頃には大雨になっていました。
飯田市からは県道8号線に入りましたが、この道が狭い!
ガードレールが無いところもちらほら。
舗装はされているものの車一台分の道路幅しかない道で、右側は急斜面、左側も谷底まで急斜面。
しかも大雨で道路に土が流れている状態。
かといってUターンできる場所もなく、進むしかありませんでした。
「ここで土砂崩れが起こったら」と思うと怖かったですね。
そんな道が20km近く続くんです。
霧と雨の中、延々と走り続け「本当にこの道で合っているのか?」と疑問に思い始めたころ
急に大平宿が現れました。
江戸時代中期の1754年(宝暦4年)、伊那谷と妻籠宿を結ぶ大平街道が飯田藩によって建設され、
その宿場として作られたのが大平宿の始まりだそうです。
明治時代には交通の要衝として戸数70戸以上にもなり、賑わっていたそうですが、
昭和に入ると別ルートで国道256号線が開通。
街道としての役目を終え、戸数も減少したことから1970年(昭和45年)に住民が集団移転して
廃村となったそうです。
雨が降っていたせいかもしれませんが、誰一人いない廃村って怖いですよ。
よくネットやテレビで「異世界」の話題がありますが、
そんなものはオカルトの一種と笑い話として見ていました。
実際に雨の中、傘をさして歩いていると「異世界の入口」って言葉が頭に浮かびました。
スマホも圏外ですし。
公衆電話は一台ありましたが、
「突然家から誰か出てきて引きずり込まれたらどうしよう」などと勝手に緊張感を高めて歩きました。
不安に駆られている私をよそに長男は興奮して写真を撮りまくっていましたが(笑)。
写真を見ても分かるように廃村と言っても整備はされています。
飯田市により管理されており、希望者は宿泊体験ができるそうです。
YouTubeには宿泊者の体験動画がアップされています。
キャンプが好きな人はいいかもしれませんが、筆者のような小心者にはここに泊まるなんて無理。
晴れていればまた印象が違っていたと思います。
それに江戸時代後期から明治初期の建物がそのまま現存している宿場は貴重だと思います。
実際、映画やドラマの撮影にも使われているとか。
江戸時代そのままの雰囲気を思いっきり感じました。
不安と恐怖の大平宿でしたが、帰りは妻籠宿側へ走行しました。
こちらも狭い道でしたが、飯田市側よりも走りやすいルートでした。
そのまま帰るのももったいない気がしたので帰り道に中山道の馬籠宿へ。
こちらはきれいに整備された観光地で安心して歩けました。
やっぱりこういう観光地の方が楽ですね。
沼津へ戻ったのは夜7時。
往復600km超の日帰りドライブでした。
今日は長野県飯田市の大平宿について書いてみました。
今週も読んでいただきありがとうございました。
南信州ナビ
https://msnav.com/navi/kanko/pointsite/etc/oodaira
大平宿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%AE%BF
今日は東京で大雨が降ったとか。
来週後半からは気温が下がるようですが、実際どうでしょうか。
早く秋らしい涼しさになって欲しいものです。
それはさておき、
昨日は大月市の猿橋の記事を書いてみましたが、
今日は夏休み中に行ってきたもう一か所のスポット「大平宿」について書いてみたいと思います。
皆様、長野県飯田市の大平宿(おおだいらじゅく)ってご存知でしょうか。
私はつい最近まで全く知りませんでした。
飯田市の山中にある廃村です。
筆者の長男がネットで知ったらしく、「連れていけ」と何度も言うので長野へ行ってきました。
朝6時に沼津を出発。
家を出るときには快晴でしたが、山梨へ入ると急に雨になったりと天気が不安定になってきました。
それでも中央道の諏訪湖サービスエリアではまだ晴れ間が見えており、諏訪湖がきれいに見えました。
更に中央道を進み、飯田市へ着いた頃には大雨になっていました。
飯田市からは県道8号線に入りましたが、この道が狭い!
ガードレールが無いところもちらほら。
舗装はされているものの車一台分の道路幅しかない道で、右側は急斜面、左側も谷底まで急斜面。
しかも大雨で道路に土が流れている状態。
かといってUターンできる場所もなく、進むしかありませんでした。
「ここで土砂崩れが起こったら」と思うと怖かったですね。
そんな道が20km近く続くんです。
霧と雨の中、延々と走り続け「本当にこの道で合っているのか?」と疑問に思い始めたころ
急に大平宿が現れました。
江戸時代中期の1754年(宝暦4年)、伊那谷と妻籠宿を結ぶ大平街道が飯田藩によって建設され、
その宿場として作られたのが大平宿の始まりだそうです。
明治時代には交通の要衝として戸数70戸以上にもなり、賑わっていたそうですが、
昭和に入ると別ルートで国道256号線が開通。
街道としての役目を終え、戸数も減少したことから1970年(昭和45年)に住民が集団移転して
廃村となったそうです。
雨が降っていたせいかもしれませんが、誰一人いない廃村って怖いですよ。
よくネットやテレビで「異世界」の話題がありますが、
そんなものはオカルトの一種と笑い話として見ていました。
実際に雨の中、傘をさして歩いていると「異世界の入口」って言葉が頭に浮かびました。
スマホも圏外ですし。
公衆電話は一台ありましたが、
「突然家から誰か出てきて引きずり込まれたらどうしよう」などと勝手に緊張感を高めて歩きました。
不安に駆られている私をよそに長男は興奮して写真を撮りまくっていましたが(笑)。
写真を見ても分かるように廃村と言っても整備はされています。
飯田市により管理されており、希望者は宿泊体験ができるそうです。
YouTubeには宿泊者の体験動画がアップされています。
キャンプが好きな人はいいかもしれませんが、筆者のような小心者にはここに泊まるなんて無理。
晴れていればまた印象が違っていたと思います。
それに江戸時代後期から明治初期の建物がそのまま現存している宿場は貴重だと思います。
実際、映画やドラマの撮影にも使われているとか。
江戸時代そのままの雰囲気を思いっきり感じました。
不安と恐怖の大平宿でしたが、帰りは妻籠宿側へ走行しました。
こちらも狭い道でしたが、飯田市側よりも走りやすいルートでした。
そのまま帰るのももったいない気がしたので帰り道に中山道の馬籠宿へ。
こちらはきれいに整備された観光地で安心して歩けました。
やっぱりこういう観光地の方が楽ですね。
沼津へ戻ったのは夜7時。
往復600km超の日帰りドライブでした。
今日は長野県飯田市の大平宿について書いてみました。
今週も読んでいただきありがとうございました。
南信州ナビ
https://msnav.com/navi/kanko/pointsite/etc/oodaira
大平宿
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E5%AE%BF