株式会社旭広告社 沼津営業所 イメージ

お客様のニーズに寄り添い、医療広告、電柱広告、ロードサイン等、最適な広告をご提案させていただきます。
東京や神奈川にも事務所を構えておりますので、首都圏からのアプローチもおまかせください。

 昨日は電柱広告の日キャンペーンをお知らせしました。
電柱広告が1890年(明治23年)5月28日に許可されたことをから
5月28日を「電柱広告の日」としたことまで書いてみましたが、
初期の電柱広告とはどのようなものだったんでしょうか。

ごく初期の電柱広告は、ガラス板に広告文を記載する「行燈看板」と呼ばれるものだったそうです。

ネットで「電柱広告の歴史」で検索すると画像が出てきます。

本当は画像を掲載したいのですがご容赦ください。
夜間には内部の電燈が点灯する電飾看板だったそうです。
現在とは比べ物にならないほど真っ暗だった当時は相当目立つものだったと思います。

ちなみに広告料は一番高いエリアで月額2円。
既に最初からエリア別広告料金だったことも驚きです。
明治20年代の2円がどのくらいの価値か難しいところですが、
少し後の明治30年代の警察官の初任給が8円~9円とする資料があります。
そうする当時の2円は現在の4万円ぐらいでしょうか。

しかし同じ明治30年代の米10kgが1円12銭だったと書かれた資料もあります。
これだと当時の1円は現在の3,000円程度ではなかったかと思われます。
米価基準では月額2円の広告料は、現在の6,000円程度。
こちらの方が実体に近い気がします。

あくまでも推測ですが、、、。
こんなことを考えるきっかけになったのも「電柱広告の日」が決まったことならでは。
この機会にぜひ電柱広告をよろしくお願いいたします。

電柱広告の日キャンペーン