狩野川にかかる大仁橋は歴史の証人 by電柱広告の旭広告社
2022年12月14日
昨日は御成橋について書いてみましたが、今日は狩野川をさかのぼり伊豆の国市の大仁橋(おおひとばし)をご紹介します。
古くから三島大社を起点とし伊豆中心部を通り下田へ抜ける主要街道が「下田街道」です。
江戸時代には下田路と呼ばれていたそうですが、下田街道が狩野川を渡る地点に大仁橋があります。
ここも江戸時代には渡し船が利用されていたそうですが、
1880年(明治13年)に初代の大仁橋が架けられました。木造橋で何度か洪水の被害を受けたそうです。
1905年(明治38年)に2代目の大仁橋か完成。
1915年(大正4年)には3代目の大仁橋が完成。ここから鉄橋となります。
古い大仁橋の写真を見つけましたのでリンクを貼っておきます。
https://ameblo.jp/arairyokan/entry-12176859184.html
1958年(昭和33年)9月、狩野川台風により死者行方不明者1269名の記録的大災害にみまわれます。
大仁橋も南側半分が流失し機能を失いました。
静岡県のホームページに当時の写真がありました。
http://www.pref.shizuoka.jp/soumu/so-440/kikikanri/kanogawa1.html
狩野川台風の後、残った3代目大仁橋を再利用し橋を西側に寄せる形で4代目大仁橋が完成します。
https://izugeopark.org/wp/wp-content/uploads/2017/12/n_nakaizu_ohito_suisho_60_45.pdf
時代は昭和から平成となり、大仁橋周辺も交通量が増大、
2008年(平成20年)、現在の5代目大仁橋が完成しました。


赤いトラスが特徴的なとても美しい橋です。
現在の大仁橋の横には3代目大仁橋が一部保存されています。
ちょっとした休憩スペースのようになっています。

また狩野川の河川敷には狩野川台風で流失した3代目大仁橋の橋脚部分が現存しています。

大正時代の煉瓦が残る貴重な近代遺産だと思うのですが、ほとんど忘れ去られたような感じになっています。
普段何気なく通っている大仁橋ですが、幾多の歴史を見てきた証人でもあると思うとこの橋もとても貴重な存在に思えてきます。
今回は大仁橋をご紹介させていただきました。
古くから三島大社を起点とし伊豆中心部を通り下田へ抜ける主要街道が「下田街道」です。
江戸時代には下田路と呼ばれていたそうですが、下田街道が狩野川を渡る地点に大仁橋があります。
ここも江戸時代には渡し船が利用されていたそうですが、
1880年(明治13年)に初代の大仁橋が架けられました。木造橋で何度か洪水の被害を受けたそうです。
1905年(明治38年)に2代目の大仁橋か完成。
1915年(大正4年)には3代目の大仁橋が完成。ここから鉄橋となります。
古い大仁橋の写真を見つけましたのでリンクを貼っておきます。
https://ameblo.jp/arairyokan/entry-12176859184.html
1958年(昭和33年)9月、狩野川台風により死者行方不明者1269名の記録的大災害にみまわれます。
大仁橋も南側半分が流失し機能を失いました。
静岡県のホームページに当時の写真がありました。
http://www.pref.shizuoka.jp/soumu/so-440/kikikanri/kanogawa1.html
狩野川台風の後、残った3代目大仁橋を再利用し橋を西側に寄せる形で4代目大仁橋が完成します。
https://izugeopark.org/wp/wp-content/uploads/2017/12/n_nakaizu_ohito_suisho_60_45.pdf
時代は昭和から平成となり、大仁橋周辺も交通量が増大、
2008年(平成20年)、現在の5代目大仁橋が完成しました。


赤いトラスが特徴的なとても美しい橋です。
現在の大仁橋の横には3代目大仁橋が一部保存されています。
ちょっとした休憩スペースのようになっています。

また狩野川の河川敷には狩野川台風で流失した3代目大仁橋の橋脚部分が現存しています。

大正時代の煉瓦が残る貴重な近代遺産だと思うのですが、ほとんど忘れ去られたような感じになっています。
普段何気なく通っている大仁橋ですが、幾多の歴史を見てきた証人でもあると思うとこの橋もとても貴重な存在に思えてきます。
今回は大仁橋をご紹介させていただきました。

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